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疲労困憊!!命がけの旅。パダン、インドネシア。

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こんにちは。旅行ブロガーぴろです。
今回は先週末に訪れたインドネシアのパダンについて書きます。

パダンを訪れるのは今回が2回目でした。

パダンは自然豊かで、人も優しく、食べ物もおいしいすばらしいところです。

で、なぜ3ヶ月前に行ったばかりのパダンを再度訪れたかというと、
前回初めて行った時に道を歩いてたらたまたま出会って仲良くなった友達が
どうしても僕に会いたいと言うもんで、速攻航空券を予約して飛んじゃいました!!

世界的な人気者は大変だぜ、まったく。え?

まあ、2度目のパダンを紹介します。

シンガポールから飛行機で1時間。
ビザは到着した空港で簡単に取得できます。ビザ用に25USドルを持っておくと便利です。

パダン空港
空港の外に一歩出ると凄まじいタクシーの客引きに合います。
今回は友達が迎えに来てくれるので
「友達が来る!」と言って断ると、タクシーのおじさんが、

「friends don't come. take a taxi!!」

お前に何がわかる笑
 商売魂に圧倒されながらも、その30秒後に友達に会えました笑

車に乗って市内へ。マックに寄って少し休憩。
インドネシアではマックの事をマクディーって呼んでました。

翌朝
友達の大学の学食で朝ご飯

見た目はめっちゃうまそうなご飯

これ、タロイモなんかな?口に入れる度に嘔吐しそうになりながらも、頑張って完食しました。戦時中はこんな芋ばっかり食べてたんですよね?少し苦しさを理解しました。。


一番右の女の子が友達。
で、左の男の子が友達の友達。要するに全く知らん人(当時)でも、彼は英語があんまりしゃべれないのに見知らぬ僕を家に泊めてくれるめっちゃ優しい人。
至れり尽くせりで本当に感謝してます。今ではめっちゃ仲良しです。


朝ご飯の後は軽いトレッキング。
おさるさんたちがいました。


パダン市街の眺め。天気、、、

海綺麗!!

これは戦時中日本兵が使用していた大砲らしいです。
東南アジアの至る所で旧日本軍の跡地を目にする事が出来ます。
当時の力の強さが窺い知れます。
壊さずに保存するものなんですね。

トレッキングの後は海!


このボートに乗って本土から1時間ほど離れた距離にあるパガン島という離島に行ってきました。

さよなら本土。久しぶりの海や。

船のスタッフさんと。
まあ、全然カメラなんか気にかけてないですけどw

波が荒れていたのか、めっちゃびしょびしょになりましたが、無事到着。

珊瑚が綺麗でした。記念の1枚。
ええやないっすか。

そりゃあ、グラビアポーズとりますわw

島ではご飯食べて、泳いでシュノーケリングして、散歩して楽しい時間を過ごしました。
島には僕たちの他に、もう一組の観光客しかいませんでした。


少し雨が降ってすぐ止んで虹がかかって綺麗でした。
見えるかな?

午後の4時頃本土に戻ろうとすると。。。
ざーざー

びゅーびゅー

暴風雨が来て戻れなくなり、船長さんの話ではすぐにおさまって帰れるとの事でしたが、
この後雷まで来て、波は荒れ狂いとても帰れる状態ではありませんでした。

しかも赤道直下なのに、風や雨にさらされめちゃくちゃ寒かったです
寒さをしのぐ為に温かい海水に浸かっていましたが、嵐の海は絶対に入ってはいけません。
自分は浅い所で泳いでいましたが、気付いた頃にはかなり流されていて、全力で陸まで泳ぎましたが、気付くのが遅かったら持っていかれていたかもわかりません。

嵐の海は危険なので絶対止めて下さい。死ぬかと思って半泣きになりました。

そして、再度寒い中暴風雨に晒され体力も奪われ、思考が鈍くなってきました。


待つ事5時間以上、遂に船長からGOサインが出ました。時計は既に9時を回っています。
暴風雨は相変わらず続いており、船では雨や風に打たれ続けました。寒かった。
しかも、高波続いてる。船が揺れること揺れること。。
もう波に飲まれるんではないのかという不安しかありませんでした。

あまりの揺れに船酔いでダウン。
寒いし、もう疲労困憊やし、船酔いやし、早くついてくれという思いしかありませんでしたが、高波の影響で行きの倍の2時間近くかかりました。
もう泣く寸前です。

そして、やっと本土到着。この喜びは忘れません。

そして、本土の人に言われました。
なんで、こんな高波、暴風雨の中帰って来たんだ?普通なら危険だから絶対船ださないぞ!!

え?船長??どういうこと???WWW

もう笑うしか出来なかったです。

けど、本当生きててよかった。

旅行中の危険は人のみにあらず、自然災害などもあるので皆さんも無理せず楽しい旅行生活を送って下さい。

ほんとほんとに、きつかったけど、一生もんの良い体験でした。


旅って楽しい!!!!!!!!





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