今朝TBSの「サンデーモーニング」を観ながら、「ん?」と疑問に思う事があった。
それは番組内のスポーツコーナーで起きた。
最近、サンデーモーニングのスポーツコーナーというと、張本さんがKINGカズに対する「引退勧告」で世間を賑わせたが、それは一人の意見としてあってもいいものだと思うし、それを「自分に対する激励」と捉えたカズさんもさすがだと思う。あっぱれ。
しかし、今朝疑問に感じたことはそれではない。
世界フィギュアスケート国別対抗戦に対する関口宏さんの発言が非常に引っ掛かったのだ。
18日に行われた世界フィギュアスケート国別対抗戦の結果を伝える関口さん。
やはり、男子で優勝した羽生くんの結果に注目が当たる。
僕が気になったのは最後にチーム日本の男子、女子、ペア、アイスダンスの結果一覧のフリップを見せた時の関口さんの発言だ。
チーム日本の各選手の名前と結果が載ったフリップにはアイスダンスの「キャシー・リード」、「クリスリード」そしてペアの「フランシス・ブードロー・オデ」という所謂、一般的な日本人の名前とは異なるカタカナの名前があった。
それに対して、関口さんは「(ペアやアイスダンスは)持ち上げたり力がないと大変だから、外国の人を借りてきているのかな?」という要旨の発言を行った。
ん?
世界フィギュアスケート国別対抗戦なのに何で外国の選手を借りるんだ?
という疑問が頭を過った。
実際、その後に「キャシー・リード選手とクリスリード選手は日本国籍を取得しています」と訂正が入った。
カタカナの名前だから日本人ではない?ニュースキャスターとしては非常に短絡的な考えで何と古めかしい考えなんだ、と思った。
そして、フィギュアスケートや各選手について調べてみると思った以上に複雑であった。
キャシー・リード選手とクリスリード選手は兄弟で母親が日本人であり日本国籍を取得している。
一方、フランシス・ブードロー・オデ選手はカナダ出身でカナダ国籍であった。
(ちなみにフランシス・ブードロー・オテ選手のパートナーの古賀亜美選手は父親が中国人で北京の日本人学校に通い、日本には住んだ事がないらしい。)
では、なぜ日本国籍ではない選手が日本代表として国際大会に出場できるのか?
調べてみると以下の2つのリンクに回答を得られた。
リンク内の言葉を借りて簡単に説明すると、
世界フィギュアスケート国別対抗を主催する国際スケート連盟(ISU)は国籍主義ではなく属地主義をとっており、その国の連盟に所属していればISUの大会やその他のフィギュアスケート競技会には出場する事ができる。
つまり、日本国籍以外の選手であろうが、日本スケート連盟に所属していれば、日本代表として大会に参加する事が認められるのだ。
つまり、関口さんの「外国人を借りてきている」という発言は完全に誤りだとは指摘できない。
悔しい。
ちなみに、国際オリンピック委員会では出場資格に国籍項目があり、日本の国籍を有してなければ、日本代表としてオリンピックには出場できない。
このようにISUとIOCでは出場資格の有無の基準が異なるため僕のように混乱する人が現れるのだろう。
では僕がなぜ、今朝の関口さんの発言1つを取り上げて、このように日本国籍の問題に過敏になっているかというと、その背景としてミス・ユニバース日本代表の問題がある。
先月の12日にミス・ユニバース日本代表に長崎県出身でアメリカとのハーフ(ダブル)宮本エリアナさんが選ばれた。
これに対してネットを中心に批判的な意見は少なくなかった。
当の本人も受賞に即して「日本代表がハーフの私でいいのかなという不安もありました。」と述べている。
いいじゃないですか。
現在は日本とアメリカの二重国籍だが、将来は日本国籍を選択する予定であるらしいし、少なくとも今も日本国籍を有してる訳だから日本代表としてミス・ユニバースに出場することもなにも矛盾していることはないと思う。
「厚生労働省によると2006年に生まれた新生児110万4862人のうち『両親のどちらかが外国人』の新生児は3万5651人で全体の3.2%で、30人に1人の子どもの親のいずれかは外国人だという事になる」という報告もある。
国際化が進み国際結婚も増える中で時代とは逆行したハーフ批判。
そもそも、日本にだって琉球民族やアイヌ民族もいるのにそこは無視。
一般的な日本人とは異なる名前には過敏に反応して外国人扱い。
キラキラネームの方がよっぽどどうかと思うけど。
要するに僕が言いたいのはもっと多様性を認めて欲しいという事。
名前とか見た目で判断するのではなく、その人の内面や人間性をもっと知ろうとする努力が今の世の中には必要だと思う。
「変化することは美しい」
アメリカ人の友達に言われてすごく心に残っている言葉。
四季が豊かでその移り変わりを美しいとしてきた日本人だからこそ、環境の変化を怖れないで、日本人特有の寛容で変化を受け入れる姿は決して変えないで欲しいと思う。
コメント