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いつもブログを読んで頂きありがとうございます。
Piroです。
今回はとっておきの写真を紹介します。
この写真を撮影した場所は中国の黄龍(黄龙)
しかし、ここに行くにはめちゃくちゃ大変でした。
まずは上海から成都まで電車で揺られること、揺られること、揺られること
38時間!!
いやーきつかったなー。
電車に乗り込む前に食料を買いためました。
電車の中でもお菓子やご飯買えます。
トイレももちろん付いてます。
驚いたことは電車にカップラーメン用のお湯が電車に設置されてこと。
車内はラーメンの匂いが充満してましたw
それにしても中国人は本当にフレンドリーですね。
中国語が話せない僕にも、みんな親切にしてくれました。
四川省の成都には夜到着しました。
そのゲストハウスへ。
翌日は朝の5時に起床。
そしてタクシーに乗ってバスセンターへ向かいました。
なぜそんなに早いかと言うと九寨溝行きのバスのチケットの当日券はすぐに売り切れてしまうからです。
開門前のバスセンターには既に人だかりができていました。
遂に開門の時間。
駆け込む人々、流れに遅れる自分。
列の後ろで待っていたら、なぜか列の最前列の人が僕に手招きして、
そして僕の分までチケットを買ってくれました。
本当謎やけどめっちゃラッキー。
そしてバスに乗り込みました。
九寨溝までの道中、四川大震災の生々しい被害の爪痕を目にして心痛めました。
バスに揺られること10時間、九寨溝に到着しました。
夕方に到着しゲストハウス探し。
安いゲストハウスを探しましたがこれが大変でした。
安いゲストハウスは既に満室でなかなか空き部屋がみつかりませんでした。
2、3時間探して、やっとのことで部屋を見つけました。が、
日本のパスポートを見せたとたんに顔色が一変。
やっぱり空き部屋がなかったから他の所を探してくれと言われました。
明確な理由は言いませんでしたが、おそらく、当時の日中関係が最高潮に緊張していた時期なので日本人を宿泊拒否したのでしょう。
他のゲストハウスを探しましたがなかなか見つからず、野宿も覚悟した時に一軒のゲストハウスを見つけました。
空き部屋もあって値段も安いし、泊まりたかったのですが、
またもや日本人ということでレセプションの方が難色を示していましたが
その場に居合わせたおばちゃんの集団が僕を泊まらせるようにいろいろ言ってくれて
最終的に宿泊が認められました。
いつもいつもこうやって人に助けられています。
本当に感謝です。
そして、翌朝6時にバスセンターに黄龍行きのバスのチケットを買いに行きました。
すると、何と売り切れ。
どうしようか悩んでいた時にタクシーのおじさんから声をかけられました。
「黄龍に行きたいのか?おれが他の人を集めて安く連れて行ってやるからここで待っとけ!」
僕は思いました
「絶対無理や!」
そして、タクシーの中で1時間程待ちましたが一向に見つかる気配もなく、もう諦めようかなと思った時になんとおっちゃんが奇跡的に4人見つけました!
おっちゃん!!!
人見つけすぎてタクシーの中パンパンやん!笑
僕は助手席に座っていたので快適でしたが他の4人はめっちゃきつそうでしたw
タクシーに揺られること2時間
遂に遂に黄龍に到着。
そして、歩くこと1時間。
遂に遂に遂にこの景色と対面する瞬間が訪れました。
Piroです。
今回はとっておきの写真を紹介します。
この写真を撮影した場所は中国の黄龍(黄龙)
しかし、ここに行くにはめちゃくちゃ大変でした。
まずは上海から成都まで電車で揺られること、揺られること、揺られること
38時間!!
いやーきつかったなー。
電車に乗り込む前に食料を買いためました。
電車の中でもお菓子やご飯買えます。
トイレももちろん付いてます。
驚いたことは電車にカップラーメン用のお湯が電車に設置されてこと。
車内はラーメンの匂いが充満してましたw
それにしても中国人は本当にフレンドリーですね。
中国語が話せない僕にも、みんな親切にしてくれました。
四川省の成都には夜到着しました。
そのゲストハウスへ。
翌日は朝の5時に起床。
そしてタクシーに乗ってバスセンターへ向かいました。
なぜそんなに早いかと言うと九寨溝行きのバスのチケットの当日券はすぐに売り切れてしまうからです。
開門前のバスセンターには既に人だかりができていました。
遂に開門の時間。
駆け込む人々、流れに遅れる自分。
列の後ろで待っていたら、なぜか列の最前列の人が僕に手招きして、
そして僕の分までチケットを買ってくれました。
本当謎やけどめっちゃラッキー。
そしてバスに乗り込みました。
九寨溝までの道中、四川大震災の生々しい被害の爪痕を目にして心痛めました。
バスに揺られること10時間、九寨溝に到着しました。
夕方に到着しゲストハウス探し。
安いゲストハウスを探しましたがこれが大変でした。
安いゲストハウスは既に満室でなかなか空き部屋がみつかりませんでした。
2、3時間探して、やっとのことで部屋を見つけました。が、
日本のパスポートを見せたとたんに顔色が一変。
やっぱり空き部屋がなかったから他の所を探してくれと言われました。
明確な理由は言いませんでしたが、おそらく、当時の日中関係が最高潮に緊張していた時期なので日本人を宿泊拒否したのでしょう。
他のゲストハウスを探しましたがなかなか見つからず、野宿も覚悟した時に一軒のゲストハウスを見つけました。
空き部屋もあって値段も安いし、泊まりたかったのですが、
またもや日本人ということでレセプションの方が難色を示していましたが
その場に居合わせたおばちゃんの集団が僕を泊まらせるようにいろいろ言ってくれて
最終的に宿泊が認められました。
いつもいつもこうやって人に助けられています。
本当に感謝です。
そして、翌朝6時にバスセンターに黄龍行きのバスのチケットを買いに行きました。
すると、何と売り切れ。
どうしようか悩んでいた時にタクシーのおじさんから声をかけられました。
「黄龍に行きたいのか?おれが他の人を集めて安く連れて行ってやるからここで待っとけ!」
僕は思いました
「絶対無理や!」
そして、タクシーの中で1時間程待ちましたが一向に見つかる気配もなく、もう諦めようかなと思った時になんとおっちゃんが奇跡的に4人見つけました!
おっちゃん!!!
人見つけすぎてタクシーの中パンパンやん!笑
僕は助手席に座っていたので快適でしたが他の4人はめっちゃきつそうでしたw
タクシーに揺られること2時間
遂に遂に黄龍に到着。
そして、歩くこと1時間。
遂に遂に遂にこの景色と対面する瞬間が訪れました。
もう何とも言えませんでした。
ここに来るまで移動時間だけで50時間もかかりましたが
この景色を一目見れただけですごく幸せでした。
この感覚に会うために自分は旅を続けているのかなと思いました。
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