スキップしてメイン コンテンツに移動

中国、延辺の旅行記と朝鮮族

朝鮮族って知ってますか?
簡単に言うと、朝鮮(韓国)系中国人ですかね。ルーツは朝鮮半島にあるが、中国戸籍を有し、かつ中国戸籍法に基づく戸籍上の民族欄に「朝鮮」と記載されている人びとです。朝鮮族は、中国少数民族の1つとして数えられていて、多くは延辺など吉林省で暮らしています。

僕の彼女は日本で暮らす朝鮮族で旧正月のタイミングで一緒に延辺に行きました。
まず、成田から上海へ飛んで、上海から延辺の最大都市である延吉まで行きました。
空港内もそうでしたが空港を出て驚いたのはこちら。

中国語と朝鮮語(こちらでは韓国語と呼ばずに朝鮮語と呼びます。韓国の標準語ともアクセントがかなり異なります。)が併記されていました。


市内の至る所で朝鮮語と中国語が併記されています。

そして、彼女の実家へ行きました。家族は基本的に朝鮮語で会話をします。
僕は韓国語が少し話せますが、アクセントや言葉が違ったりで実力不足もありますが、半分くらいしか理解できなかったです。

食事はやはり中華ではなく朝鮮料理が基本です。キムチやサムギョプサル、冷麺、チゲ、など。そして一番驚いたのは食卓に犬の肉が出てきたことです。

恐る恐る食べてみましたが、意外と柔らかかったですが、それ自体の味は薄く、若干臭みがありました。その後、市場で犬の肉が売られている姿を見てしまったので、もう二度と食べられそうにはありません。。

中国なのか朝鮮族だからかはっきりしませんが、家族構成が難しく、親は出稼ぎに行って親の兄弟の子どもたち、つまりいとこが一緒に暮らしていていたりと、日本では考えにくいような家庭環境で育った子どもたちがたくさんいるそうです。

2月の延吉はとても寒く、−20℃以下になることもしばしば。
雪もたくさん降ります。






ここでは寒いので川も凍って川の上に雪が積もります。


彼女の叔父さんと叔母さんはお酒が大好きなので毎日ビールを一緒に飲みました。
ビールは氷川ビールという銘柄でアルコール度数が3%と弱く、味が薄かったです。


朝鮮族だからなのか、地域で違うのかははっきりしませんが、家では韓国の放送がリアルタイムで見ることができます。彼女の実家も基本的には韓国の放送を見ていました。

その放送で気になったのは、連日北朝鮮の報道を大々的に時間を割いて放送していることでした。最近は両国の関係が悪化し、活動が活発になっており、日本でもほぼ連日ニュースとして扱われますが、韓国の放送では当然ですが、日本以上に危機感を持って報道しているという印象を持ちました。


朝鮮戦争の時に朝鮮族はどちら側についたのですか?と尋ねると、地理的な関係や経済の関係もあり、北朝鮮側だったと答えてくれました。


それが今では、北朝鮮の内情も韓国の報道を通して知るという、ねじれた関係になっていることが不思議に感じられました。


お酒を飲みながらいろいろな話をさせて頂きましたが、最後に思い切って彼女のおばあちゃんに聞きました。



「日本を恨んでませんか?」



躊躇いもなくおばあちゃんは答えてくれました。


「確かに戦時中は大変だったけど、日本人を恨んだりはしてないよ。戦争は国と国がしたことで国家に責任があるから、日本人を恨むなんてことはしない」



僕は自分で聞いておきながらその答えに頷くしかできませんでした。


しかし、今考えてみると、恐らく僕が想像するよりももっと辛い思いや苦労をしたおばあちゃんがそのようなことを言えるなんて本当に心が強い方なんだと思います。




朝鮮族の話に戻りますが、今、中国では韓国のアイドルや化粧品など韓国ブームなので、朝鮮族の人は漢族(大部分の中国人)からいいなーとうらやましがられたりもするそうですが、そのルーツに何かプライドだったり、あるいはコンプレックスといった感情を持ってるのかなと勝手に想像していましたが、特に今回はそのようなものを感じることはなかったです。


寧ろ、朝鮮半島に住む人びととはまた違った、朝鮮族として当然のように生きていると感じました。


現在では国際化が進み、日本人とは誰かという問いに答えるのが難しくなっていますが、全てが全て重なるわけではありませんが、自分らしさを大切にすることが一番大切なのかなと、思えた旅でした。


家族の皆様ありがとうございました。寒くて死にそうだったので、今度は寒くない時に行きます。

コメント

このブログの人気の投稿

「先生っぽい」とは?

先生っぽい 「先生っぽい」この言葉を言われたことがある人はいるのではないのでしょうか? 僕も先日、外国人の友達に日本語を教えている時に言われました。 僕の場合は日本語の先生なので「っぽい」ではないのですが笑 普段会社で働いていてもこの言葉をかけられることがあると思います。 今回はどうして先生っぽいと思うのかについて考えてみました。 先生っぽい人の特徴は? 第一に「 見た目 」です。 先生と聞くと真面目なイメージがあるので真面目で誠実そうな人を見ると、「先生っぽい」と思う節があるのではないでしょうか。 ただ、見た目で人を判断するのは好きではないのでここはあまり言及しません。 第二に「 説明力 」です。 先生=人の持っている知識を共有する人です。 誰かに何かを伝えるためにはロジカルに順序立てて説明する必要があります。 なので説明を受けて納得出来た時、相手の話が分かりやすかった時に「説明が上手」、つまり先生っぽいと思うのでしょう。 第三に「 聞く力 」です。 先生の仕事は何も勉強を教えるだけではありません。 皆さんも経験があると思いますが、悩んだ時に相談をする相手でもあるのです。 先生に相談した時に自分のモヤモヤがなくなったり、励まされてやる気が出たりしたことがあると思います。 同様に誰かに相談した時に、自分でも気付いていない自分の気持ちを引き出してもらいスッキリした状態になった時に聞いてくれた人に対し先生っぽいと感じるのではないでしょうか。 相手の話を聞きながら解決の方向に持っていく、聞く力。 ある種コーチングにも似た力がある人に先生っぽいと感じると思います。 以上の「見た目」「説明力」「聞く力」この3つの力を持った人に先生っぽさを感じると思います。 私たちの頭の中に潜在的に、先生=いろいろ教えてくれる優れた人という意識があることが原因なのかなと思ったりもします。 「先生っぽい」と言われた人は褒められていると思います。 先生っぽいと言われたからといってがっかりしないでくださいね笑

個性を表すQUILTBAG(キルトバッグ)

QUILTBAGとは QUILT(キルト)という言葉をご存知の方は多いと思います。 裁縫をする時に使う生地ですが、そのキルトを用いて作ったカバンがQUILTBAG(キルトバッグ)です。 しかし、僕が今回みなさんに紹介したいのはカバンではありません。 LGBTにまつわるQUITLBAG(キルトバッグ)という言葉です。 QUILTBAGの世界観 僕は最近LGBTに関する言葉で新しく知った言葉があります。 それが QUITBAG(キルトバッグ) です。 簡単にQUILTBAGの頭文字について説明します。 QU・・・Queer(クィア) と Questioning(クエスチョニング) I・・・Intersex(インターセックス) L・・・Lesbian(レズビアン) T・・・Transgender(トランスジェンダー) と Two-spirit(ツースピリット) B・・・Bisexual(バイセクシュアル) A・・・Asexual(アセクシュアル)と Ally(アライ) G・・・Gay(ゲイ) と Genderqueer(ジェンダークィア) 他にもこれだけでは定義しきれない性が数多く存在しますが、QUITBAGが性の多様性を表す言葉として近年使用されています。もしわからない言葉がある方はご自身で調べていただけると助かります。 TENGAは毎年RAINBOW PRIDE CUPという限定デザインの商品を販売し、利益の一部をLGBTの方のために寄付するという活動をしていますが、今年のRAINBOW PRIDE CUPのデザインはQUILTBAGをモチーフにしています。 https://tenga-group.com/news/1435 ピースの連なりが魅力を生むパッチワークキルトのように、それぞれの個性を楽しみ、繋がることを喜べるというメッセージが込められています。 LGBTを再定義する QUILTBAGの個性を楽しむということにも繋がってくる問題ですが、私たちは未だにLGBTの問題を考える時にストレート(LGBTではない)かLGBTかという二項対立で物事を考えてしまいがちだと思います。 ではあなたの友達を考えてみてください。 同...

日本語教師再開しました!

日本語教師再開 3月末に以前の日本語学校を辞めて以来、1ヶ月以上日本語教育から離れていましたが、 本日5月4日。無事日本語教師として復帰しました!! いやー嬉しいですね。日本語教師は大好きな仕事なので本当に戻れて嬉しいです。 以前の教務主任が新しくオープンした日本語学校で教えることになったのですが、教室も綺麗で場所も非常に良くてすごく快適です。 学校のベランダからは日本ゆかりの建物が見えます〜 今はまだ個人レッスンしかしていませんが、団体授業が開講するのを今か今かと待つばかりです。 再開への悩み 以前の日本語学校を辞めた時にすぐに事情を聞き付けた以前の教務主任の先生から新しい日本語学校で教えてくれないか?と打診がありました。 もちろん打診いただいたことは本当に嬉しいことではありましたが、正直少し悩んだ部分もありました。 語学というのは長く険しい道のりで上達するのに時間がかかります。 教える以上は生徒に日本語が上達してほしいと思うのは当然ですが、どうしても目に見える結果を常に生徒に求めてしまって、なかなか自分が思った通りにいかないときは自分自身にがっかりして辛い思いをすることもありました。 さらに自分は出来るだけ多くの人に影響を与えられるようになりたい! 思っていたので、プライベートレッスンや少人数でのクラスに満足できるのかという悩みもありました。 そのようなこともあり、また日本語教師をすることにすこしためらいがありました。 しかし、やはり授業中の生徒の笑顔を思い出すとやはり、嬉しくてもう一度日本語を教えたいと決心しました。 そして今日久しぶりにプライベートレッスンで日本語教師として復帰しましたが、やはり日本語教師は最高に楽しいです。 今日は以前もプライベートレッスンで教えたことがある生徒でしたが、 生徒から「日本語の勉強を再開することが出来て本当に嬉しいです。普段日本語を使う機会がないのでこのように日本語を使えて楽しいです。」 という言葉を聞いたときは本当に戻って来てよかったなと思いました。 これから少しでも生徒の力になれるように自分の日本語教師としてのスキルを向上するのはもちろんのこと、楽しい授業が出来るように自分自身も楽しんでいきたいと思います。