今回の僕のブログは人を不快にさせるかもしれません。それだけは断っておきます。
でも書かないといけないと思ってるので書きます。
まずこの記事を読んで見てください。
芸能人はいま「笑顔」だけで「不謹慎」なのか SNS投稿が次々削除という異常な「震災反応」
率直な僕の意見としては、批判する人たちが頭おかしい。
好きな芸能人の笑顔見たら元気出る人もおるかもしれんし、そもそも地震が起きたせいで全て自粛っていう風潮がおかしいと思います。
僕の個人的な話をします。5年前の2011年3月11日に東日本大震災が起きて、死傷者だけで2万人を超える甚大な被害が出ました。今映像を見返しても本当に恐ろしいです。
しかしその地震が起きた当日、大学生だった僕は長期休暇でタイにいました。そしてそこでこの恐ろしい事件を知ったのです。それでも僕は旅を続けました。結局日本に帰国したのはその地震からおよそ3週間後です。その理由は僕の実家が九州で家族に被害がなかったこと。親しい友人で事故に巻き込まれたという情報がなかったこと。
そして、3週間後に東京に戻った時、すっかり変わり果てた姿を想像していました。しかし目の前に広がったのは普段と何も変わらない「日常」でした。
そして周りの友達にその時の様子を聞きました。東京にいた友達たちは口を揃えて言いました、「恐ろしかった」と。
その当時の僕は浅はかでした。みんなが口を揃えて恐ろしかったと言ったことに対し僕はそれを経験してないことを自慢していました。「その時海外におって経験しなかった」と。浅はかです。本当に申し訳ないです。
東北地方に行ったこともなく、親戚もいなくて、地震も経験していない僕には正直、東日本大震災は他人事でした。正直に言います。今もどこか違う世界の話のように感じてます。今まで一度も行ったことのない地域のことを心から親身になって心配をできるほど僕は出来た人間ではありません。だからこそ関わりを自ら持たないといけないと思ってますし、だけどまだ行けてないのは心のどこかに遠い世界の話と思ってしまっているからです。それゆえ、積極的に支援を行う人々に対して尊敬の念を抱いてますし、常に自分もそうならなければいけないと思っています。
そして今回、熊本で大地震が起きました。僕の故郷、大分県のすぐ隣です。
今回の地震も僕は直接経験したわけではありませんが、故郷九州で起きたということで物凄い不安に襲われました。まずは自分の実家、家族が大丈夫なのか。熊本や九州各地にいる友達や知り合いが大丈夫なのか。大分は無事なのか。
2年前に実家で震度4の地震を一度だけ経験しました。真夜中でしたが、携帯が緊急地震速報という物々しい音を鳴らしながら家が揺れるという恐怖を体験しました。震度4でもかなり揺れました。本当に怖かったです。それが毎日、熊本や大分で続いていると思うと本当に心配です。
僕は直接現地にいるわけではありませんが、地震速報が入ってくるたびに胸が苦しくなります。どうかみんなが無事でありますように。本当に思っています。しかも震源が大分にずれ込んでいるという状況もあり本当に不安です。
こんな表現は本当に不適切ですが、単に死傷者数だけで比較すると東日本大震災の方が数字としてはかなり多いです。しかし、心配でいうと今回の地震の方が比較にならないほど大きいです。
要するに何が言いたいかというと、結局自分が可愛いのです。
僕は自分に関わりのあることばかり気にしてしまいます。当然といえば当然です。
今、日本の裏側のエクアドルでもマグニチュード7.8の大規模な地震が発生し甚大な被害が出ています。しかし、そっちに目を向ける余裕もないのです。目の前の九州のことで頭がいっぱいです。
これは僕みたいな卑しい人間だけかもしれませんが、結局は自分と関わることしか本当に心配なんてできないと思います。正直、今めちゃくちゃ九州が心配です。でも、僕自身は家族や友人が安全ということもあって僕自身、旅行に行ったり楽しいこともしてます。でも心配しているのは本気です。徐々に震源が大分にも入ってきてるし、先ほどの地震で僕の地元も震度4を計測しました。怖くてしょうがありません。
話を戻すと、人間自分の関わりがあることにしか本気で心配なんてできないと思います。今回の地震でもテレビやメディアは自粛するべきだという意見がありますが、全くそうは思いません。っというか、仮にふざけた番組とかやってても「ああ、やってるな」としか思いません。それに対して怒りを覚える余裕すらないくらい心配なのです。
正直、そういうのに対して文句言うのは偽善者だと思います。心配してるふり、または心配してるんでしょうけど心の奥底にちょっと自分とは関係ないという気持ちがある。そのちょっとの余裕が変な正義感となって心配してない人たちを攻撃したがる。
言っときます。本当に心配してる人たちはどうでもいいことに攻撃してる余裕なんてありませんから。
僕もそうだったように、自分と深く関わってないことに人間99%本当に心底心配なんてできないと思います。それはしょうがないことです。そこで関わりを持つように努力しようとする聖人もいます。それはその方達を褒めるべきであって、一般には難しいです。
でもそれでいいと思います。そうやってそこまで関心が持てなかった人たちが日常を送ることによって得られるメリットもあると思います。いつも通り仕事して作ったその製品が被災地で役に立つかもしれません。お笑いが被災地を笑わせるかもしれません。
もちろん全国民が心配して支援できたら素晴らしいことです。しかしそれはなかなか難しいことです。
関心、共感をどうしても持てなくて、何もなかったように日常を送る人がいるかもしれません。それはしょうがありません。思う存分日常を楽しんでください。
僕が一番嫌いなのはその日常を奪う人たちです。何で無理やり心配したフリしなければいけないんですか?日常を行うことの何が不謹慎なんですか?
もう一度言います。本当に苦しんでいる人たち、心配している人たちは他人に文句言ってる暇なんてありません。どうやったら生きていけるか、どうやったら一人でも救えるかを考えています。
文句を言うあなたたちが一番邪魔かもしれません。
それを僕はどうしても言いたかったです。
まだ家族、知り合いから一人も被害報告を聞いていない僕にも、心の奥で0.1%でもどこか他人事になっているのかもしれません。
でも書かないといけないと思ってるので書きます。
まずこの記事を読んで見てください。
芸能人はいま「笑顔」だけで「不謹慎」なのか SNS投稿が次々削除という異常な「震災反応」
率直な僕の意見としては、批判する人たちが頭おかしい。
好きな芸能人の笑顔見たら元気出る人もおるかもしれんし、そもそも地震が起きたせいで全て自粛っていう風潮がおかしいと思います。
僕の個人的な話をします。5年前の2011年3月11日に東日本大震災が起きて、死傷者だけで2万人を超える甚大な被害が出ました。今映像を見返しても本当に恐ろしいです。
しかしその地震が起きた当日、大学生だった僕は長期休暇でタイにいました。そしてそこでこの恐ろしい事件を知ったのです。それでも僕は旅を続けました。結局日本に帰国したのはその地震からおよそ3週間後です。その理由は僕の実家が九州で家族に被害がなかったこと。親しい友人で事故に巻き込まれたという情報がなかったこと。
そして、3週間後に東京に戻った時、すっかり変わり果てた姿を想像していました。しかし目の前に広がったのは普段と何も変わらない「日常」でした。
そして周りの友達にその時の様子を聞きました。東京にいた友達たちは口を揃えて言いました、「恐ろしかった」と。
その当時の僕は浅はかでした。みんなが口を揃えて恐ろしかったと言ったことに対し僕はそれを経験してないことを自慢していました。「その時海外におって経験しなかった」と。浅はかです。本当に申し訳ないです。
東北地方に行ったこともなく、親戚もいなくて、地震も経験していない僕には正直、東日本大震災は他人事でした。正直に言います。今もどこか違う世界の話のように感じてます。今まで一度も行ったことのない地域のことを心から親身になって心配をできるほど僕は出来た人間ではありません。だからこそ関わりを自ら持たないといけないと思ってますし、だけどまだ行けてないのは心のどこかに遠い世界の話と思ってしまっているからです。それゆえ、積極的に支援を行う人々に対して尊敬の念を抱いてますし、常に自分もそうならなければいけないと思っています。
そして今回、熊本で大地震が起きました。僕の故郷、大分県のすぐ隣です。
今回の地震も僕は直接経験したわけではありませんが、故郷九州で起きたということで物凄い不安に襲われました。まずは自分の実家、家族が大丈夫なのか。熊本や九州各地にいる友達や知り合いが大丈夫なのか。大分は無事なのか。
2年前に実家で震度4の地震を一度だけ経験しました。真夜中でしたが、携帯が緊急地震速報という物々しい音を鳴らしながら家が揺れるという恐怖を体験しました。震度4でもかなり揺れました。本当に怖かったです。それが毎日、熊本や大分で続いていると思うと本当に心配です。
僕は直接現地にいるわけではありませんが、地震速報が入ってくるたびに胸が苦しくなります。どうかみんなが無事でありますように。本当に思っています。しかも震源が大分にずれ込んでいるという状況もあり本当に不安です。
こんな表現は本当に不適切ですが、単に死傷者数だけで比較すると東日本大震災の方が数字としてはかなり多いです。しかし、心配でいうと今回の地震の方が比較にならないほど大きいです。
要するに何が言いたいかというと、結局自分が可愛いのです。
僕は自分に関わりのあることばかり気にしてしまいます。当然といえば当然です。
今、日本の裏側のエクアドルでもマグニチュード7.8の大規模な地震が発生し甚大な被害が出ています。しかし、そっちに目を向ける余裕もないのです。目の前の九州のことで頭がいっぱいです。
これは僕みたいな卑しい人間だけかもしれませんが、結局は自分と関わることしか本当に心配なんてできないと思います。正直、今めちゃくちゃ九州が心配です。でも、僕自身は家族や友人が安全ということもあって僕自身、旅行に行ったり楽しいこともしてます。でも心配しているのは本気です。徐々に震源が大分にも入ってきてるし、先ほどの地震で僕の地元も震度4を計測しました。怖くてしょうがありません。
話を戻すと、人間自分の関わりがあることにしか本気で心配なんてできないと思います。今回の地震でもテレビやメディアは自粛するべきだという意見がありますが、全くそうは思いません。っというか、仮にふざけた番組とかやってても「ああ、やってるな」としか思いません。それに対して怒りを覚える余裕すらないくらい心配なのです。
正直、そういうのに対して文句言うのは偽善者だと思います。心配してるふり、または心配してるんでしょうけど心の奥底にちょっと自分とは関係ないという気持ちがある。そのちょっとの余裕が変な正義感となって心配してない人たちを攻撃したがる。
言っときます。本当に心配してる人たちはどうでもいいことに攻撃してる余裕なんてありませんから。
僕もそうだったように、自分と深く関わってないことに人間99%本当に心底心配なんてできないと思います。それはしょうがないことです。そこで関わりを持つように努力しようとする聖人もいます。それはその方達を褒めるべきであって、一般には難しいです。
でもそれでいいと思います。そうやってそこまで関心が持てなかった人たちが日常を送ることによって得られるメリットもあると思います。いつも通り仕事して作ったその製品が被災地で役に立つかもしれません。お笑いが被災地を笑わせるかもしれません。
もちろん全国民が心配して支援できたら素晴らしいことです。しかしそれはなかなか難しいことです。
関心、共感をどうしても持てなくて、何もなかったように日常を送る人がいるかもしれません。それはしょうがありません。思う存分日常を楽しんでください。
僕が一番嫌いなのはその日常を奪う人たちです。何で無理やり心配したフリしなければいけないんですか?日常を行うことの何が不謹慎なんですか?
もう一度言います。本当に苦しんでいる人たち、心配している人たちは他人に文句言ってる暇なんてありません。どうやったら生きていけるか、どうやったら一人でも救えるかを考えています。
文句を言うあなたたちが一番邪魔かもしれません。
それを僕はどうしても言いたかったです。
まだ家族、知り合いから一人も被害報告を聞いていない僕にも、心の奥で0.1%でもどこか他人事になっているのかもしれません。
コメント