スキップしてメイン コンテンツに移動

投稿

6月, 2016の投稿を表示しています

積み重ね

イチロー選手やりましたね!! イチロー選手に憧れて野球を初めて、打ち方などプレースタイルは素よりバットやグローブまでイチローモデルを買い集めた元野球少年として本当に嬉しく思います。 記録については日米通算がどうとか話題になってますが、もう記録自体がとんでもない記録です。それは然るべき方が判断すれば良いだけで僕は彼の偉業にただただ脱帽するのみです。 それから記録ばかりが先歩きしている感がありますが、この記録は毎試合毎打席、もっというと日々の準備、努力の集積であっていきなり生まれたものではありません。 イチロー選手が少年時代から努力を重ねた結果なのです。 僕はどうしても結果ばかり焦って追い求めてしまいますが、そんな上手い話はないです。 毎日の行動の結果でしかないのです。 このイチロー選手の大記録は裏返せば日頃からしっかり行動しろというメッセージというか、そういうものが詰まったものであると気付かせてくれるものでした。 改めてお祝い申し上げます。 そして、自分自身も結果を待つだけではなく、自分から良い結果を得られるよう準備、努力を継続していこうと心に誓います。 子どもの時集めてたイチロー選手の野球カードが高値で売れますように笑

こだわる

梅雨ですね。じめっとしてます。 でも生まれたのが梅雨で性格もじめっとした僕はこの時期が嫌いではありません。 最近YouTubeでホストクラブに関する番組をずっと見てました。 決してホストに成りたいとかそういうわけではないのでご安心を笑 僕はホスト又はホストクラブに対し良い悪いとかは特に無いのですが、ただ単純に何かかっこいいなと思いました。 それは外見がどうとかではなく、彼等が拘って貫いているスタイルがかっこいいと感じたのです。 勿論外見上のスタイルもありますが、女性を喜ばせる為の行動などそこには一貫した美学や哲学があって、それを僕が理解出来る出来ないは別にして、その姿がかっこいいと思いました。 ホストに対して世間のイメージは確かに良く無いですが、no.1になりたいから一生懸命努力するとか何か目標に向かって頑張ってる若者はろくに働きもしないだらけたおじさんよりは人間的に魅力かなと。まあ、ホスト自身の人間性にもいろいろあると思いますが。。 この話を見て、自分を見つめ直すと、僕は拘りを持たずにただ何となく行動を選んでる事が多いなと気付きました。 何も拘りを持つ事が素晴らしいとは思いません。フレキシブルな選択肢を持てる人も素敵だと思います。変に拘った頑固親父ほど面倒くさいものはありません笑 しかし、最近友達と話して僕は結構拘りが強い事に気付きました。それは拘りと思ってなくてただ好きだからそうするだけと思ってたんですが、まあそれが拘りですよね笑 今の時点でそうならもうこれは拘りを極めようと思います。一つ一つの選択肢に妥協せず好きなものをしっかり選べるように意味を持って生きていこうと思いました。 そしてそれを他人に強制するんじゃなくて提案する形でお勧めできる人間になれたらと思います。 たかがYouTubeを見てもそこから学ぶ事は何かある。 自分を正当化するのが僕の拘りです。 いえ、それはただの独り善がりです。以上!

挑戦

最近つくづく思うのですが物事を始めたり、習得しようとしたら莫大なエネルギーと時間がかかるなあと。 当たり前といえば当たり前の事なんですが、以前は何も考えず気軽に物事を始められたのに、最近は20代も後半に入ってなかなか決断が出来ません。 これを始めたら他のことに使う時間が取られてしまうとか、習得できた頃には30代とか邪念があってなかなか難しい。 しかし1つ決意しました。 料理勉強します。 長いことホールスタッフとして飲食店で働いてますし、食べ物には強い関心というか拘りみたいなものもありますし、なのでせっかくならちゃんと習ってみようと思いました。 と、言っても今、週に2、3回働いてる焼肉店でわがまま言って調理場に入らせてもらうだけなんですけれども。 ずっと一緒に働いてて、プライベートでも仲良くしている料理長が和食や洋食で修行されてた方なので、その人の下で勉強させて貰おうと思います。 今は包丁の持ち方もわからない状態ですけど頑張って覚えます。 いつかは自分のお店というか、お酒が飲める場所を作りたいのでその為の修行と思って一生懸命頑張ります。 お肉食べたい。

変わっている人とは

僕は大学に入って気づいた頃には変人と言われていました。 でも、 自分が変わってると言われる人も、周りに変わった人がいるという人も多いんじゃないんですかね。 僕自身変わっていると言われることに対して自覚する部分もありますが、正直自分が普通と思って生きています。 変わっているという言葉を否定的に捉えてもいないですし、別に変わっているから良いとも思ってません。ただ自分がやりたいことをやった結果そう言われただけでそれ以上でも以下でもありません。 「変わってる」っという言葉は程度に差はあれ一般的な事柄、又は自分の物差しとは異なっているという意味だと思います。 この世の中には似ている人はいても全く同じ人は絶対にいないのです。 つまり、自分の物差しで測れば自分以外の人間は少なからず「変わっている」のであって、逆に「普通」というものは存在しないと思います。 所謂世間一般の感覚と意見が合致する人は「普通」の人ではなく、その人の感覚が世間一般の感覚と近かった。それまでだと思います。 僕から見たら「何でそんなに我慢できるんやろ、変わってるなー」と思う人も多いし「あ、この人こういう面では感覚近いかも面白い」と思う人も多いです。 何でどうせ皆さん自分以外の人から見たら変わってるし、何でそんなことするのか理解も得られないことも多いでしょうが他の人を理解出来る人なんていないので自分の信じた道を進みましょう! と、自分に言い聞かせてます! 友達のお母さんから「物欲ニート」というあだ名を頂きました笑

誕生日

自分で言うのもなんですが、一昨日は僕の誕生日でした。 今年で26歳。もういい歳です。 こどもの頃に覚えた誕生日が迫ってくるときのワクワク感もなければ 誕生日当日の特別感もありません。 パーティーを開いて祝って欲しいという気持ちもないですし どこかに出かけようという気持ちにもなりません。 唯一あるのはこどもの頃に想像した26歳の自分とかけ離れた現状です。 昔の話をします。 僕はプロ野球選手になりたいと思って野球を始めました。 しかしその夢は数年のうちに自ずから諦め消えてなくなりました。 いつも教師である両親の姿を見て育った僕は 幼いながらに小学校の頃から学校の先生になるもんだと思って育ちました。 僕はおじいちゃんおばあちゃん子で祖父母も僕が教師になることを望んでました。 もう当然の成り行きだと思っていました。 高校生の頃、自分が教師になる姿が想像もできないまま、 東京に出たいという理由とも相まって東京の教育大学に入りました。 しかし、高校時代からかかっていた靄が大学に入っても晴れることはなく、 結局教員免許を取得したにも関わらず教員という道は選びませんでした。 そして僕は自分の非力さを全身で感じながら何もできず26歳の誕生日を迎えました。 そんな何もできずに路頭に迷っている僕に 誕生日のお祝いのメッセージが届きました。 心が震えました。 こんな僕でも誕生日を、生きていることを祝福してもらえるなんて。 あんまり意味を考えてもしょうがないんですけど こんな僕にでもできることが、 こんな僕だからこそできることがあるんじゃないかと。 教員という選択はしませんでしたが、やはり教育には携わっていたいです。 心底「人」が好きなので人と人とがぶつかる教育という世界に魅力を感じます。 教育という言葉だけ聞くと上から物事を教えるような偉そうな言葉に聞こえますが、 僕が目指すのは共に学び感情を共有する人と人の成長の場です。 まずは自分が届けられることから始めようと思います。

お父ちゃん

今日から6月ですね。 今日6月1日はお父ちゃんの誕生日です。 ダメ息子?ドラ息子ながら毎年家族の誕生日には必ずプレゼントを贈ることにしています。 お父さんはウォーキングが大好きで一人で100キロウォークの大会とかに参加するほどの変態なので今年は運動用の薄手のナイロンパーカーをプレゼントしました。 ほんならお父さんから電話掛かってきて「ちょうどこういうの買おうとしちょったとこやったにーありがとー」と言われ、心が通ったというか本当に喜んでもらえたみたいで嬉しかったです。 でも最後に言われたのは、「お前食えていけよんのか」という一言。 明るく「大丈夫大丈夫!」と答えましたが正直辛かったです。 もう自分も今年で26やし、若くないのに未だに親にそんなことで心配かけてるということで申し訳なくもあり、情けなくもありました。 正直お父さんは僕が地元に帰って先生になって欲しいのかなと勘ぐることもありますし、恐らくそれに近しいことは思っていると思います。それでも寛大に僕が自由にやることに口を出さずに見守ってくれていることに感謝してますし、口は出さんけど心配をすごくしてくれていることも感じます。 本当にどうなるかわかりませんが、今は自分自身に挑戦して結果を残せたらという思いでいっぱいです。まだ時間はかかるかもしれんけど「待っちょってな」としか言えません。 こんなお父さんの元で育ててもらえて僕は幸せやと心から思います。 やけんこそ何か目に見える形で親孝行がしたいと今は思ってます。 がんばるけん。 ほんでまたツーリング行こうな いつまでも体には気をつけて下さい。 息子より