自分で言うのもなんですが、一昨日は僕の誕生日でした。
今年で26歳。もういい歳です。
こどもの頃に覚えた誕生日が迫ってくるときのワクワク感もなければ
誕生日当日の特別感もありません。
パーティーを開いて祝って欲しいという気持ちもないですし
どこかに出かけようという気持ちにもなりません。
唯一あるのはこどもの頃に想像した26歳の自分とかけ離れた現状です。
昔の話をします。
僕はプロ野球選手になりたいと思って野球を始めました。
しかしその夢は数年のうちに自ずから諦め消えてなくなりました。
いつも教師である両親の姿を見て育った僕は
幼いながらに小学校の頃から学校の先生になるもんだと思って育ちました。
僕はおじいちゃんおばあちゃん子で祖父母も僕が教師になることを望んでました。
もう当然の成り行きだと思っていました。
高校生の頃、自分が教師になる姿が想像もできないまま、
東京に出たいという理由とも相まって東京の教育大学に入りました。
しかし、高校時代からかかっていた靄が大学に入っても晴れることはなく、
結局教員免許を取得したにも関わらず教員という道は選びませんでした。
そして僕は自分の非力さを全身で感じながら何もできず26歳の誕生日を迎えました。
そんな何もできずに路頭に迷っている僕に
誕生日のお祝いのメッセージが届きました。
心が震えました。
こんな僕でも誕生日を、生きていることを祝福してもらえるなんて。
あんまり意味を考えてもしょうがないんですけど
こんな僕にでもできることが、
こんな僕だからこそできることがあるんじゃないかと。
教員という選択はしませんでしたが、やはり教育には携わっていたいです。
心底「人」が好きなので人と人とがぶつかる教育という世界に魅力を感じます。
教育という言葉だけ聞くと上から物事を教えるような偉そうな言葉に聞こえますが、
僕が目指すのは共に学び感情を共有する人と人の成長の場です。
まずは自分が届けられることから始めようと思います。
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