先週末、いつも通り親友のロブといつもの日台交流バーに行ってきました。
最近は顔なじみもかなり増えました笑
その日はカウンターの隣の席にアメリカ人とスウェーデン人の方がいて、一緒に話をするようになりました。バーの醍醐味ですね。
いろいろ話をすると盛り上がって、別のお店で飲み直そうということになり、向かったのは近所のゲイバー(4人ともストレート男性、でもゲイバー好き)。
そこでアメリカ人の方が父がアメリカ人、母がイラク人というバックグラウンドを持っていることがわかり、その話題へ。
お酒が入っていることもあり、単刀直入にイラク戦争時の心境について伺いました。
すると、うっすら涙を浮かべながら彼の祖国同士が血を流しあった時の悲痛の思いを吐露してくれました。
今の時代、Google翻訳が発達し別に言語が出来なくてもコミュニケーションを取ることができるし、今後更に発達すれば本当に言語学習をする意味が問われる時代になると思います。
ただ、絶対にAIにとって変われないのが「感情」です。
いくらコミュニケーションが取れたとしても、お互いに信頼、心を許しあっていなければ核心に触れる話をすることは難しいと思います。
最近はよく言われることですが、ただ言語を勉強するのではなく、勉強した先に何を伝えたいのか、どういう情報を相手から引き出すことができるのかが重要であると思います。
ネットには無限に情報がありますが、面と向かって相手から聞いたリアルな思いというのは、その人の表情、声色、その場の雰囲気と併せて決して忘れることが容易ではない生きた情報であると思います。
結局、彼らとはその日のうちに打ち解けて、今度の土曜日に一緒にご飯に行くことになりました。こうして新しい友達を作るきっかけとなるのも言語。
広い世界を繋ぐ言語って本当におもしろい。。
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