最近ずっと悩んでまして、、
僕は人生の目標の一つに学校を作ることを掲げているのですが、それに対する不安というか本当に学校を作るのかな、、と自分を信じられなくなっていました。
僕は台湾で日本語教師として実際に働いていますが、僕が常に意識しているのは「日本語を教えるだけの人にならない」こと。
日本語の学習を通して物の価値観だったり、生き方ということも学ぶ機会を提供したいと思ってますし、生徒も日本語を勉強することが目的にならずに、それを通していろんなことを学んで、学習したことを使って新たな喜びを得てほしいなと思っています。
ただ、そんなに理想通りにはいきませんよ、と。
週に1回、多い生徒でも週に3回くらいですが、なかなか自分の思いを伝えるどころか、そもそも僕が教える日本語すらなかなかうまく伝わらない。自分に対する悔しさ、もう何回も同じこと言ったやん!生徒に対するどうして。
この状況下で自分が学校を、と考えると、到底想像すらできない状況でした。
ただ、、
週に1回個人レッスンで教えていた大学4年生の生徒がいたのですが、彼女は大学卒業を控え就活の真っ只中。就職したいと思っていた企業の面接にも落ちてしまし、いま彼女自身、人生どうしたら良いか悩んでいる一番苦しい時期。
日本語を教えながらも、彼女の人生について一緒に話したりして、「楽しいこと、自分がやりたいことをやりなさい」とアドバイスしました。
そんな人生に迷っている彼女も、卒業を控え最後のレッスン。
最後に「自分のやりたいことを書き出して、それを全部達成したらおもしろいんじゃない?」と伝えお別れしました。
でもまだお別れではありませんでした。
水曜日に最後のレッスンを終えたのですが、金曜日にわざわざお世話になったとお礼の品を持ってきてくれて、これからの人生楽しみますと、満面の笑み。
もう、泣きそうになりました。そして思いました、「そう、僕がしたいのはまさにこれや」と。
学校というスタイルではなくても、何かしら若者と触れ合い、悩める彼ら彼女らにヒントを与え、自身、夢、希望を持って自分が選んだ道に進んでもらうこと。そしてその先に喜びを得てもらうこと。
これこそまさに自分がしたいことなんだなと。生徒から気づかせてもらいました。
僕自身、学校の価値が薄れてきていると思いながら、学校を作りたいという矛盾に苛まれていましたが、大事なのは「場」ではなく、自分が何がしたいかということ。
まずは僕自身が多くの若者と携わって僕の経験を伝え、こんなぽんこつな生き方もあるんだと知ってもらうこと。そして興味を持ってくれたらば、自分の思いを伝える。
初めから偉そうに教育者を語る人にろくな人はおらんと思うし。
それで、共感を持ってくれる人をどんどん増やし、最終的には望む人たちで何か楽しいことをやれる集団を作れたらなというのが、悩んで考えた今の答え。
長いこと書きましたが、やっぱりいろんな人に僕のヒント、アドバイスを聞いてもらって、結果最高に楽しいですと言ってもらえるのが、僕にとってもかけがえのない幸せなんやと思います。
若者頑張れ!支援できるよう頑張ります!
わしもようけ歳取ったもんやわ笑
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