怒られるということ。
私は物心ついた時からすごく嫌で避けようとしていました。
みなさんもそうではないでしょうか?
基本的に怒られようと思っている人はいませんよね。
私は小学生の頃、野球をしていましたが時折こういう言葉を言われました。
「怒られるうちが華だぞ」
一度エラーをした時はすごく注意されますが、何度もエラーを連発すると何も注意されなくなりました。子どもながらにその時の恐怖を覚えています。
皆さん、大人となった今はどうですか?
未だに怒られてますか?
あるいは上司となって叱る立場にありながらも、パワハラだなんだと言って叱れない立場にいませんか?昨今厳しいですからね。
もちろん中には理不尽に怒鳴り散らす方もいらっしゃるようですが。
私は現在、日本語教師と会社員と両方をさせていただいていますがどちらの仕事もそうなんですが、怒って欲しいです。
会社ではまだ怒られるレベルにもなっていないのでまた違いますが、とにかく自分で覚えて聞きたいことがあったら自分で聞け、というスタイルなので何も理解していない段階ではその放任主義がちょっと寂しく感じます。
日本語教師では研修として何度か他の先生の授業を見学しましたが、いざ授業を行うようになってからは誰からも見てもらってませんし、指針となるのが生徒の反応ただ一つです。
自ら授業を行い、生徒の反応を見ながら反省し、時に生徒から直接辛辣な意見をもらいながらもその意見をありがたく頂戴するほかないのです。
今になってつくづく思うのは口酸っぱく叱ってくれる存在の大きさ。
自分で気づくことも大事ですが気づかないことを指摘してくれる存在というのは、本当にありがたいというか、かけがえがない存在だと思います。
未だに地元の先輩で、僕の生き方を叱ってくれる先輩が何人かいるのですが、やっぱり悔しいですけど、そういう先輩方に限って常に努力されてますし、指摘が確実に的を得てるし、それによって学ぶことも多いので本当にありがたいです。
言いたいことはお互いに高め合う大切さ。
怒るということは非常にエネルギーを使います。しかし、そのエネルギーを使っても教えたいという思いが片隅ないし全面にあるから怒るし、指摘しながらも自分でも学ぶことが多いと思います。このように相互に高め合える関係は本当に大切だし、必要だと思います。
なんか、こんなこと書いてる自分は相当寂しいんだと思います笑
今後も面倒見てください笑
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